こんな言葉を見聞きしたことがある方は多いかと思います。
とはいえ、「子どもの言うことの全部にゴーサインなんて出せない」「子どもの意見なんて危なっかしくて鵜呑みにできない」という大人の気持ちもよく分かります。
子どもと進路相談すると、否定だらけになってしまったり、いつも口論になるだけで終わったり、ロクな話し合いにならなかったり、どうしていいか分からなくなってしまう人も多いのも納得です。
そこで今回は、通信制高校に通っていた私の妹と会話する上で、私が気をつけていることを紹介します。
「親子」と「兄弟」とでは多少異なると思いますが、ご参考までにご覧ください。
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子どもの進路希望を聞く時はまず「赤べこ」になれ!
赤べこ、ご存知ですか?
指でチョンと弾くとひたすら首を縦に揺らす、福島県の郷土玩具です。
子どもと進路について話す時は、「今から私は赤べこになる」と言い聞かせてほしいのです。
なぜなら「自分の希望や意見を言う時、子どもは緊張している・勇気を使っている」からです。
「多感な年頃」の人が「進路という大きな問題」について「緊張状態」で話している。
理路整然と、一点のツッコミどころもない説明なんて出来るわけがないとお分かりいただけるかと思います。
むしろ話している内に、自分でも段々何を言っているのか分からなくなる子の方が多いと思います。
そんな話を聞く方も、かなり疲れますし、神経を使うでしょう。
結果、ついつい話の途中で口を挟んでしまったり、しかめっ面or無表情で話を聞いてしまったり、相槌もなく押し黙って聞いてしまったり、「またアンタはそんなこと言って」と否定から入ってしまったりしてしまいがちです。
ニコニコと笑顔を取り繕えとは言いません。
しかし、「うん」「なるほど」と相槌を打って頷いてくれるだけで、話す方としては格段に話しやすくなります。
子どもが言いたいことを言い終えたと思うまで、「今から私は赤べこになる」とご自分に言い聞かせてください。
間違っても下記のような言葉は口にしないように。
「で?」「だから何なの?」「はあ?」「どうせ」「じゃあ勝手にしなさい」「あなたは~~なんだから」「~~さん家の息子さんは(他人との比較)」「何でそんなに馬鹿なんだ」「ちゃんと考えたの?」
ただでさえ「大人なんてどうせ」と思いやすい年頃ですから、ちょっと反対意見を言われただけでも「否定された。やっぱり親に言っても無駄なんだ」と傷ついてしまいます。
反論・疑いは、子どもにとって「悪口」にほぼ近いと思うべし
先述の通り、「全てを鵜呑みにする」のと「尊重」は違います。
だから時には異論反論や疑問を投げかけることも大事です。
ただし、それらは子どもから見れば全て「自分を否定する悪口」にほぼ近い存在であることを、絶対に忘れないであげてほしいと思います。
必要なものではあるけれど、かなりの劇薬でもあるのです。
例えば、「漫画家になりたいから通信制高校で、そういうコースがあるところに通いたい」と言い出した私の妹に対し、母は「何をバカなこと言ってるの」と言い、「フツーの高校に通いながらじゃ、漫画を描く勉強は出来ないの?」と尋ねました。
母の質問に妹は傷ついたそうです。
と感じたそうです。母は全日制公立高校にも大学にもつつがなく通い、卒業した人なので、その人から【フツー】という単語が発せられるだけで悲しくなるとのことでした。
「教わる側に回る」という姿勢が吉
ところが「高校で漫画の描き方なんて教えてくれるんだ?」という素の疑問を投げかけた私に、妹は喜々として「そうなんだよ!●●先生っていう人気の漫画家さんが教えてくれたりもするんだよ!」と語り始めました。
「高校なのに専門学校みたいだね?」と、これまた素の感想を言った私に、妹はさらに語り続けます。
妹「そうなんだよ。でも専門学校と違って、高校だから英語とか数学とかの勉強とかテストとかもあるんだよね」
私「へぇー? 何か上手く想像出来ないな。漫画の勉強はいつやるの?」
妹「体育とか、美術とか、音楽とか、家庭科とか、そういう時間が、漫画の勉強の時間にかわる感じ?」
私「何となくイメージ出来てきた。こんな感じのイメージであってる?」
(※画像はイメージです。実際は手書きでした)
妹「そうそう! そんな感じ」
私「へぇ~。思ったより普通の勉強もするんだね」
母「あらホント」
――と、このように(当時は完全に無意識でしたが)、「相手が喜んで説明したくなる質問」=「教えてもらう姿勢」を取ると、無駄に傷つけることなく会話が出来ます。
「親子」「保護者と被保護者」となると、どうしても親や保護者の方が無意識的に「上」に立ってしまいます。もしくは子どもの方がそう感じている可能性もあります。
例えば、「最近どう?」という質問でも、会社の上司から言われたら「仕事のことかな?下手な解答したら査定に響くかな?」とドキドキしてしまいますが、完全に立場が同じの同僚から言われたら「最近太ってきてさー」とアッサリ答えられますよね。
同じことを言っていても相手と自分で「高さ」が違えば、印象も意味も大きく変わってきてしまいます。
親子といえど、子どものことは、子ども自身が一番詳しいのだと思って、「教えてほしい」という姿勢を取る。
どうやれば良いのか?
簡単です。
「教わる側」に回る方法は、「教えて」って言うだけ!
「父さん、通信制高校に関して知識がないから教えてほしい。何かイメージしやすい本とかホームページとかないか?」
これだけでいいのです。
これだけで「親」と「子」の間にある段差が低くなります。
簡単そうに思えますが、実際やってみようとすると結構な忍耐力を要します。(私の妹が、喋るほどにどんどん調子に乗り脱線するタイプだからかもしれませんが)。
教えてもらう姿勢を保ちながら、鵜呑みや暴走に繋がらないように誘導するので、かなりの心労が溜まります。
修行僧かなにかになったつもりで聞く、大変な作業です。
その代わり、得るものは非常に大きいです。
「何かあったら、まず親に話してみようかな」って子どもが思ってくれるようになったら、今後の人生においても大切な要素になるはずです。
社会人になって、自殺したくなるほど仕事が辛い時、「そうだ、お母さんに愚痴聞いてもらおう」と、弱音を素直に言える相手がいるか、いないか。
この差が、本当に自殺してしまう人とそうでない人を分ける大きな要素だと思います。
私は、妹のお悩み相談の後には素潜りでもした後かのように「ぷはーーーー!」とやっと息を吸えた感があるほど疲れます。
しかし、それでも毎回頼ってきてくれることに安堵感も覚えています。
「お姉ちゃんは、怒りはするけど否定しないから」
という妹の言葉を信じるのであれば、「教えて」っていう姿勢こそが「相手を否定しない」=「相手を尊重する」ことに繋がっているのではないかと思います。
年齢が2つしか違わない妹相手にですら、「教えて」姿勢を取るのは疲れるので、20も30も歳が離れている親子では尚更難しいかもしれません。
でも実行出来たら、「親」という存在自体が、お子さんの心のセーフティーネットになると思うのです。
一回で上手くやる必要はありません。
まずは「話が終わるまで赤べこになる」というところから始めてみてください。
お子さんとの相談がスムーズになり、ちゃんと本音を引き出せ、ベストな進路を選択できるよう願っています。